2010/06/25

研究姿勢

顔をあげてする勉強と 下を向いてする勉強
態勢・物理的姿勢・精神的姿勢 集中と拡散、インプットとアウトプット

2010/06/07

教育の本

広田 照幸 教育にできないことは何か、春秋社
ダニエル・グリーンバーグ
門脇 厚司 子供の社会力
ホンダユキ ハイパーメリトクラシー

「興味ないし」



興味ないことを「興味がない」と言って切り捨てる。そうして形成される人格とは、自分の欲求にしか従わない人格である。
これは教育現場などで「自分の意見を持つ」ことが重視されたり、「自分の関心に従ってまなぶ」といった子ども中心主義が、その影響を考慮されずに盲目的に実践された結果じゃないだろうか。こう発言するとすぐに反論が聞こえてくる。「関心がない」ことは学校現場で加点の対象とはならない、むしろ改善すべき学習態度として捉えられているのだから、学校教育はこの問題に真剣に取り組んでいると。関心がない子にも色々な方法で勉強が好きになるよう努力していると。
関心とは何だろうか。とりわけ生徒にとっての関心とはなんだろうか。自分の身近なことが関心を呼び起こすのか、遠くのことが関心を呼び起こすのか。どちらもありえるから空間的には近遠は同列である。同じように時間的な新旧も、どちらがより関心を呼び起こしやすいかという問いの前では同列である。そう考えると関心を引き起こしやすい/にくいというバロメーターに関して、学習内容からは判断ができないといえる。わかりやすいから生徒は関心を持つとは限らないし、難しいから関心を持たないというわけでもない。ただし、簡単に話をするという必要はある。これは生徒の関心を引き出す条件としての教員の力量の話である。こうして、教員がしなければいけないことのひとつが、わかりやすく話をするということになる。






学校は、「関心がなかったことにまで関心を拡大する」と考えるべき。バランスを与える場所であって、
そうしたバランスは社会でも生きてくる力のひとつ。記憶力、思考力とともに、関心拡大力も育成する必要がある。

教科教育について

旧師範学校 → 新制大学→ 大学の教育学部に編入
                  → GHQ→旧帝国大学に教育学部設置
東京・広島高等師範学校
教育大学は養育学部しかないから存在理由が弱い(教員養成の公開制)
→教育大学と総合大学の合同大学院の予感

教職大学院 文科省「教員の質向上」(教員レベルが上がれば問題が解決するという素朴な教員観)
教育委員会と大学が仲が良い地域に設立される
教科教育の専門化=養成しているのは広島大学、筑波大学
  教員- 教養の人格(ドイツ)、スキルの養成(イギリス)

仮定
教育学部解体→教育センターから大学に出向する=師範学校?
しかしかつての師範学校が何をしていたかがわからない=研究の意義

テラサキマサオの研究

東京帝国大学・文
  ハウスクネヒト=元ギムナジウム校長、お雇い外国人、Didaktik
  ヘルバルト研究 専科(教員養成機関) タニモトトメリ ヘルバルト派
教育学って何しているか分からない、師範学校でやれ→2年でクビ
→戦争に加担→反省で戦後の開放制

地域と学校に関する研究の問題点

地域と学校の関係において、学校からの目線が主。
・農村開発の視点 内発的発展 学校・マツリが重要な地域行事であり、まちづくりとなる。
・ハナイマコト 地域と学校←歴史的な流れ=地域と中央("受け入れ"と"達成"[地方教育史学会])
地域=地域性+中央集権 ←社会史的視点が減少しつつある
2つの視点
・社会教育 (学校との関係が薄い) また、生涯教育はち密な議論にならない
・子育て ヒロタテルユキ、日本のしつけ
「地域や親の教育力が衰退?地域教育力下がった?」 ← 研究方法論の死角

メモ

自由主義 アダムスミス (農業を基盤)
↓                      ↓
ニューリベ(ケインズ,大きな政府)   ネオリベ(フリードマン,小さな政府)
                                         ←批判
                                              →共同体の排除(累進課税なし、最高欲望、徳に関する記述なし)