2010/06/07

教育の本

広田 照幸 教育にできないことは何か、春秋社
ダニエル・グリーンバーグ
門脇 厚司 子供の社会力
ホンダユキ ハイパーメリトクラシー

「興味ないし」



興味ないことを「興味がない」と言って切り捨てる。そうして形成される人格とは、自分の欲求にしか従わない人格である。
これは教育現場などで「自分の意見を持つ」ことが重視されたり、「自分の関心に従ってまなぶ」といった子ども中心主義が、その影響を考慮されずに盲目的に実践された結果じゃないだろうか。こう発言するとすぐに反論が聞こえてくる。「関心がない」ことは学校現場で加点の対象とはならない、むしろ改善すべき学習態度として捉えられているのだから、学校教育はこの問題に真剣に取り組んでいると。関心がない子にも色々な方法で勉強が好きになるよう努力していると。
関心とは何だろうか。とりわけ生徒にとっての関心とはなんだろうか。自分の身近なことが関心を呼び起こすのか、遠くのことが関心を呼び起こすのか。どちらもありえるから空間的には近遠は同列である。同じように時間的な新旧も、どちらがより関心を呼び起こしやすいかという問いの前では同列である。そう考えると関心を引き起こしやすい/にくいというバロメーターに関して、学習内容からは判断ができないといえる。わかりやすいから生徒は関心を持つとは限らないし、難しいから関心を持たないというわけでもない。ただし、簡単に話をするという必要はある。これは生徒の関心を引き出す条件としての教員の力量の話である。こうして、教員がしなければいけないことのひとつが、わかりやすく話をするということになる。






学校は、「関心がなかったことにまで関心を拡大する」と考えるべき。バランスを与える場所であって、
そうしたバランスは社会でも生きてくる力のひとつ。記憶力、思考力とともに、関心拡大力も育成する必要がある。