2010/11/15

レクサスなどトヨタ車3割走ってて、思ったほど現代の車を見かけなかった。大宇のバスはたくさん見たけど、そういえばバスもドイツやフランスのバスがおそらく再利用で走ってた。車はかなり多く、ガソリンスタンドもhelios, Sonarなど多かった。ガソリン安いんでしょ。信号でカウントダウンしちゃって。
クラクションが当たり前、急に車が止まる:信号を守る+歩行者優先(歩行者がいきなり横切る)
バスがめちゃくちゃ揺れる→おじいさんおばあさんを大事に。優先席。
路面バス、バス、電車、公共交通機関が発達しつつ、白タクもありで移動には困らない、けど渋滞に困る。

20年以来建設している地下鉄が来年完成予定、とか。

馬と一緒に埋葬。紀元前の土木技術や装飾品などはかなり進んでいる印象。

2010/10/30

真に受ける男 間を埋める男

今年のノーベル化学賞を受賞した、米パデュー大特別教授の根岸英一さんは、受賞決定後の記者会見でこう語ったという。「日本はすごく居心地のいい社会なんでしょうけれど、若者よ、海外に出よ、と言いたい。たとえ海外で成功しなくとも、一定期間、日本を外側からみるという経験は何にもまして重要なはず」

先人のメッセージを真に受けて、それを目印にして生きてきたつもりだけど、こうしたメッセージをあつめて体系化するとものすごいメッセージ性のつよいテキストができるのではと考えついて、そして気付いたことは、自分のなかで先人たちのメッセージを勝手につむいでおおきなネットワークをつくっていたこと。ただそれは自分にしか響かない。

2010/10/29

乱世を生きる2005橋本治

「システムの危機」とは、「たった一つの方向性」しか持てなくなってしまっていることで、「勝ち組を独裁者にしてこの現実を更にややこしいものにしてしまうことを回避する方法」は、「たった一つしか方向性のない世界」を、「複数の方向性を持つ世界」に変えて行くだけなのです。それが「システムからの脱出」で、そもそも、「世界」というものはもっと不便なものなのです。

いろいろなものが錯綜していて、それゆえにこそ不便な「世界」がある。だから、「これを整理してシステム化すれば便利になる」と思う。システム化すれば、方向性はどんどん「一つ」に近づいていく。なぜかと言えば、それこそが「便利なあり方」だからです。誰にとって便利かと言えば、それはもちろん、「システムにとって」で、「システム化を実現させて行く人にとって」です。
それが、「システムを利用する人」にとって便利かどうかは分かりません。それを「不便」と言えば、その人達はシステムから遠ざけられてしまう
―それが「推進されるシステム化の究極の姿」で、「システム化」というものは、そういう方向性を目指すものなのだから、仕方がありません。
「便利」が加速すれば、破綻は近づく― 人は普通こんなことを考えませんが、実はそうなのです。

2010/10/28

大野盛雄1974フィールドワークの思想

地形や気候の厳しさ。農民の生活や生産についていかに深い関係にあるかがよく論ぜられる。しかしこうした状況の中に暮らそうとするときには、この厳しさに堪えようとする姿勢が少なくとも私たち自身の側にあるわけで、したがって当事者としてはその厳しさを客観的な厳しさとしては受け止めることがむずかしくなる。農民はこの厳しさを日常性の中で受けとめているわけで、私たちも彼らの日常性を理解しようとすると、広大な平原はかならずしも大きくは思えず、半年もそれ以上も雨の降らないために灰のようになった土の中での生活をあたりまえと思い、気温の寒暖の差のはげしさをさして苦痛と感じないように努めている。そしてそのうちに温度計にあらわれた客観的な数字にさえも驚かなくなってしまう。59

2010/07/03

Wie sagte Immanuel Kant (1724-1804) in seinen Vorlesungen zur physischen Geografie:


„Die Geographie vertritt das Reisen und erweitert den Gesichtskreis nicht wenig. Sie macht uns zu Weltbürgern und verbindet uns mit den entferntesten Nationen. Ohne sie sind wir nur auf die Stadt, die Provinz eingeschränkt, in der wir leben. Ohne sie bleibt man, was man auch gelernt haben mag, beschränkt, begrenzt, beengt. Nichts bildet und kultiviert den gesunden Verstand mehr als Geographie.“

2010/06/25

研究姿勢

顔をあげてする勉強と 下を向いてする勉強
態勢・物理的姿勢・精神的姿勢 集中と拡散、インプットとアウトプット

2010/06/07

教育の本

広田 照幸 教育にできないことは何か、春秋社
ダニエル・グリーンバーグ
門脇 厚司 子供の社会力
ホンダユキ ハイパーメリトクラシー

「興味ないし」



興味ないことを「興味がない」と言って切り捨てる。そうして形成される人格とは、自分の欲求にしか従わない人格である。
これは教育現場などで「自分の意見を持つ」ことが重視されたり、「自分の関心に従ってまなぶ」といった子ども中心主義が、その影響を考慮されずに盲目的に実践された結果じゃないだろうか。こう発言するとすぐに反論が聞こえてくる。「関心がない」ことは学校現場で加点の対象とはならない、むしろ改善すべき学習態度として捉えられているのだから、学校教育はこの問題に真剣に取り組んでいると。関心がない子にも色々な方法で勉強が好きになるよう努力していると。
関心とは何だろうか。とりわけ生徒にとっての関心とはなんだろうか。自分の身近なことが関心を呼び起こすのか、遠くのことが関心を呼び起こすのか。どちらもありえるから空間的には近遠は同列である。同じように時間的な新旧も、どちらがより関心を呼び起こしやすいかという問いの前では同列である。そう考えると関心を引き起こしやすい/にくいというバロメーターに関して、学習内容からは判断ができないといえる。わかりやすいから生徒は関心を持つとは限らないし、難しいから関心を持たないというわけでもない。ただし、簡単に話をするという必要はある。これは生徒の関心を引き出す条件としての教員の力量の話である。こうして、教員がしなければいけないことのひとつが、わかりやすく話をするということになる。






学校は、「関心がなかったことにまで関心を拡大する」と考えるべき。バランスを与える場所であって、
そうしたバランスは社会でも生きてくる力のひとつ。記憶力、思考力とともに、関心拡大力も育成する必要がある。

教科教育について

旧師範学校 → 新制大学→ 大学の教育学部に編入
                  → GHQ→旧帝国大学に教育学部設置
東京・広島高等師範学校
教育大学は養育学部しかないから存在理由が弱い(教員養成の公開制)
→教育大学と総合大学の合同大学院の予感

教職大学院 文科省「教員の質向上」(教員レベルが上がれば問題が解決するという素朴な教員観)
教育委員会と大学が仲が良い地域に設立される
教科教育の専門化=養成しているのは広島大学、筑波大学
  教員- 教養の人格(ドイツ)、スキルの養成(イギリス)

仮定
教育学部解体→教育センターから大学に出向する=師範学校?
しかしかつての師範学校が何をしていたかがわからない=研究の意義

テラサキマサオの研究

東京帝国大学・文
  ハウスクネヒト=元ギムナジウム校長、お雇い外国人、Didaktik
  ヘルバルト研究 専科(教員養成機関) タニモトトメリ ヘルバルト派
教育学って何しているか分からない、師範学校でやれ→2年でクビ
→戦争に加担→反省で戦後の開放制

地域と学校に関する研究の問題点

地域と学校の関係において、学校からの目線が主。
・農村開発の視点 内発的発展 学校・マツリが重要な地域行事であり、まちづくりとなる。
・ハナイマコト 地域と学校←歴史的な流れ=地域と中央("受け入れ"と"達成"[地方教育史学会])
地域=地域性+中央集権 ←社会史的視点が減少しつつある
2つの視点
・社会教育 (学校との関係が薄い) また、生涯教育はち密な議論にならない
・子育て ヒロタテルユキ、日本のしつけ
「地域や親の教育力が衰退?地域教育力下がった?」 ← 研究方法論の死角

メモ

自由主義 アダムスミス (農業を基盤)
↓                      ↓
ニューリベ(ケインズ,大きな政府)   ネオリベ(フリードマン,小さな政府)
                                         ←批判
                                              →共同体の排除(累進課税なし、最高欲望、徳に関する記述なし)

2010/05/17

類推が果たす役割

(地理学が自然科学と人文科学の領域に渡っていることをまず疑問に思わなければいけないのかもしれないが、そこにはノータッチで話を進める。ただ、哲学に似ている。兄弟か。)
自然地理的分野では自然科学的アプローチがなされ、論証が行われている。一方、人文地理的分野でも同じく論証が行われているが、さて、どちらの地理にしても類推の果たす役割は大きい。

研究はかならず主観に基づいて進められることを自覚したい。たとえば、目の前の坂道を見て、どこからどこまでが坂道でどこからが平坦な道なのかということは一見定量化してしまえば答えがでそうだけれど、でない。坂というのが何のことか、明示的に入力されないと定量化しきれない。それでもなんとなく、人は坂道と平坦な道を分けている。体験に基づいて主観的に判断しているし、きっとそこには類推も含まれているはず。

フィールドワークで何かを感じ取るとき、この類推がきっと大きな役割を果たす。自分の内部からあふれる既知観と類推でものを見ると、新しいパースペクティブのカット面が見つかる。
類推は推測とはまた違う、直感的に見えないネットワークに気付ける力。
地理的類推力って聞かないけど、これを育てることが地理的見方考え方だと思う。

みえないものを見える化するのが研究なら、みえないものに気付ける化することを目標にするのが教育か。





2010/05/13

フィールドワークの意味

現地にでかけてすべてが調査できなくとも、現場を見ているという体験が大事だという人がいる。それは事実(調査結果)を知っているからではなく、推測ができるからである。自分の言葉で語るか、他人の言葉を借りるかという違いでもある。
論証的により妥当な推測を引き出せるということもあるかもしれないが、むしろ、直観と類推の下地ができていると表現したほうが妥当なのではないだろうか。そういった意味で、事実から事実を学ぶのではなく、事実から推論を学ぶのがフィールドワークだ。